『トネリコの魔女』序章 新月の夜の夢 001 真夜中の森

トネリコの魔女 序章 新月の夜の夢 001 真夜中の森

 それは奇妙な夜だった。太陽を喰らった月が大きな一ツ目をギラリと光らせ、こちらを見下ろしている。生暖かい風がぬるりと通り行く暗い森の中——淡く翡翠色に光る大きな木の上に、ひとりの少女が立っていた。薄手のミニドレスにフリンジ付きの肩章で縫いとめられたシースルーのマントを羽織り、ロングブーツとオペラ・グローブを纏っている。所々に繊細な刺繍が施されたそれらからは上等なあつらえであることがうかがえた。白を基調とした淡いトーンの装いは、木の光を受けて翡翠色に染まっている。
 トントンと靴音を鳴らしながら枝の上を歩くたびに、肩を掠める白銀の髪が柔らかく揺れた。彼女は中性的な顔立ちで、透き通る肌に細長い手足、の眼と、毛に覆われた二つの短いツノを生やしている。その出で立ちは独特な雰囲気を放っていた。
 三つの眼のうち、顔に並ぶ二つは瞼が閉じられており、何かで縫い止められたような痕が刺青のような模様を描いている。唯一見開かれた大きなひと——額と頭頂部の間にり、その金色こんじきの瞳は白銀の髪の中に埋め込まれた琥珀のようなである——は、ギョロリと目玉を動かした。人気ひとけがないことを確認すると、何やら呪文を唱えて魔法陣を展開し、木を中心に結界を張り巡らせる。
 少女は持っていた分厚い本を左手の上に広げ、もう片方の手でページを押さえながらしなやかな手つきで文字をなぞった。ある場所でピタリと指を止めると、木の幹に向かってその一節を読み上げる。
 「■■■■■ ■■ ■■■■」
 すると、正面に螢火のような優しい光の玉が現れた。ガラス玉ほどの大きさで、その中にエルガスト王家の紋章が揺らめいている。
 そっと指先で触れると一瞬だけ強い光を放ち、目の前に一羽の精霊が降り立った。

 精霊としては珍しく、二足歩行である(※大半は脚が無く、浮遊している)。ペンギンのような体躯であるが、頭には猫のような耳が生え、短くフワフワとした体毛に覆われていた。
 その珍妙な容姿を目にした少女は、想像と違ったのか驚きで固まっている。
 精霊は気にした様子もなく、下から見上げるようにして少女が何者であるか窺うような視線を向けた。しばし眺めたあとを選び、静かに〝エルガスト語〟で訊ねた。
 「何処どこだ?」
 それは少し凄味のある男性的な声であった。少女はハッとして、再び本のページに目を落とす。古エルガスト語で書かれた或る一節を見つけ出すと、一言一句間違えぬようゆっくりと、しかし流暢に読み上げた。
 「は死んだ。我は三人の子らにそれぞれを託す。第一子に西、第二子に東、第三子に森を治めさせ、十三度目の新月の夜、扉を開く。汝、盟約に従い給え」
 それを聞いた精霊は、ナルホドと合点がてんがいったような表情を一瞬見せたが、またすぐに眉間へと皺を寄せた。
 少女はただ黙って精霊の次の言葉を待った。
 現在〝古エルガスト語〟と呼ばれるその言葉をる者は、ごく僅かしか残っていない。さらに扱うことができるのは、王家の血を引く者だけである。ただの精霊がそれを理解し、ましてや話すなど有り得ない光景であった。
 しかし全ての物事に例外は付き物だ——きっと何か特別な事情があるのだろうと少女は思った。
 しばらくの間、木々のザワザワと揺れる音だけが世界を包んでいた。少女はポケットから懐中時計を取り出し時刻を確認する。短針はXIII、長針はVIを指していた。未だ精霊は何処か遠くを見るように目を細めたまま閉口している。不審に思った少女は目の前で軽く手を振るが、反応はない。どうやら何かに集中しているようだった。
 「そうか……そういうコトか」
 ややあって、やっと小さな呟きが聞こえた。その言葉は公用語である〝エルガスト語〟であった。精霊はなにやら満足気な顔をして少女に話しかける。
 「待たせて悪りィナ!俺様は世界樹の精霊トネリコだ」
 謝罪の言葉とは裏腹に全く悪びれた様子はなく、彼は飄々とした調子で自己紹介を始めた。
 「此処に封印されちまう前の話だが、の王にはちょいと世話になってナ。いつの間にか長い時間眠っちまったみたいでよォ、思い出すのに時間がかかったぜ。古エルガスト語を話せるってェコトは、オマエが新しい王か?」
 問いかけられた少女はトネリコに合わせて〝エルガスト語〟で返答した。
 「いいや、ボクはただの魔女さ。名は無いから好きに呼ぶといい」

 〝魔女〟とは、いにしえに魔族と人間が交わったことで生まれた血統であり、見た目は人間に近く、魔法を使うことができる者を指す。魔族の冷血さと人間の温情さの両極面を併せ持つため、性格が不安定、または二面性があることで知られている一族だ。名に縛られるのを嫌うため、のが通例である。
 目の前の少女は、魔女にしては珍しく、魔族寄りの容姿をしていた。先代の王も魔女であったが、彼は人間に近い印象だったとトネリコは記憶している。少なくともツノなど生えてはいなかった。
 口には出せないが「あまり似ていない」というのが正直な感想である。本当に先王の子だろうかといぶかりながらも尋ねてみた。
 「フム……そうか。森に居るってェコトは、オマエが第三子か?」
 魔女はコクリと頷き「今は姉様が西を、兄様が東を治めている」と付け足した。
 トネリコは〝あるもの〟を確かめるため、ぴょんと飛び跳ねて魔女のツノを掴んだ。髪にくちばしを突き刺すようにしてクンクンと匂いを嗅ぐ。記憶の中の匂いとを照らし合わせようとしたのだ。
 エルガストでは産まれて間もない赤子に対して〝世界樹のように無病息災であること〟を願い、トネリコの木の下で厄払いの儀式を行う。それは、清らかな泉の水をくぐらせたトネリコの枝を、赤子の頭に三度振り、穢れを祓うというものだ。トネリコはその時に嗅いだ匂いを全て記憶し、判別することができる——〝絶対嗅覚〟の持ち主である。
 驚いた魔女はすぐさま彼を引き離し、迷いなく木の下に向かって叩き落とした。
 「ムゴッ……!!」
 トネリコは顔面から直撃し、マヌケな呻き声をあげた。同時に地面に群生していたホシヒカリゴケの胞子が落下の衝撃で舞い上がり、キラキラと光る霧のように辺りを包んでゆく。幸いにもその苔の絨毯のお陰でほとんど痛みを感じることはなかった。トネリコは咳き込みながらゴロンと仰向けになり、上に向かって文句を垂れる。
 「オイ!ゴホゴホ……いきなり何すんだ?!」
 「今のはいきなり飛びついてきたキミが悪い」
 「クッ……!!俺様を誰だと……ゴホッ本気を出せば世界を征服できるトネリコ様だぞ!?覚えとけよ!」
 魔女は悪態を無言で聞き流し、周囲の結界を解いた。すぐさま呪文で風を起こすと、胞子の霧をすうっと晴らしてゆく。そのままふわりと木から降り、音もなく着地した。一歩一歩苔を踏みしめると軽く胞子が舞ったが、すぐにキラキラと地面に落ちてゆく。まるで星空を歩いているかのような美しい光景であった。
 「ゴホッゴホッ……えらく威勢のいい姫さんだナ。確か、重いご病気で城から出られないとか、公務に出席できないとか報道されてただろう?アレは嘘だったのか?」
 トネリコは歩み寄ってくる魔女を見上げながら皮肉めいた口調で疑問を投げかけた。
 先王には三人の子がおり、第一子は女の子、第二子は双子の兄、第三子は双子の妹であると周知されている。しかし、第三子の姿は幼少期に幾度か見たきりで、トネリコが知る限りでは、それ以降、おおやけの場には現れていない。
 「……」
 魔女はピクリと眉を動かし、立ち止まった。どう返答するか思案しているようにも見えるが、余程話したくない事なのか無言を貫いている。
 曖昧な素振りに痺れを切らしたトネリコは小さく溜息を漏らすと「言いたくネェならいいのサ」と言って、カカッと笑った。魔女はどこかホッとしたように「そう」と短く答えた。
 トネリコはピョンと跳ね起き、体毛に纏わりつく胞子を両手で軽くはたいた。いつの間にか彼の側に来ていた魔女は、向かい合うようにして屈み、目線を合わせた。
 「ねぇ、トネリコ。キミはこの本に見覚えはあるかい?」
 彼女は小脇に抱えていた本を手に取って見せた。夜空色の革表紙に金箔で細かく図柄が描かれた豪華な装丁で、王家の紋章も刻まれている。
 「オイオイ嘘だろ……」
 トネリコは目を丸くして、暫し言葉を失った。目の前にあるソレは、一時いっとき裏社会で噂になった〝幻の書物〟の特徴と一致していたからである。代々王家に受け継がれてきた遺産の一つで、この世に終わりが来るまでの全てが記述された〝預言書〟であると云われている。
 「コイツァ、ひょっとして、ひょっとしなくても〝残夜の黙示録〟か?!」
 トネリコは黙示録を見つめながら、キラキラと瞳を輝かせた。両腕をパタパタとはためかせ、今にも飛べそうなほど興奮している。
 「そうだよ。やっぱり〝トネリコ〟はキミの事で間違いないみたいだね」
 「おン?何の話だ?」
 トネリコは小首をかしげて、眉根を寄せた。
 「詳しくはまだ分からないけど、本の中に出てくるんだよ。ほら、例えば此処こことかね」
 魔女はパラパラとページを捲ると、先程トネリコの封印を解いた時に読み上げた箇所を開いて見せた。文章は全て古エルガスト語で記述されている。
 「ナニナニ……フム——」
 トネリコは眉間のシワを深くしながら読み進めていく。目があまり良くないのか、ページに嘴が刺さりそうなほど顔を近づけていた。そして、或る単語を見つけると驚いた表情で叫んだ。
 「■■■■!!」
 それは古エルガスト語で〝トネリコ〟を指しており、文章内に度々登場していた。
 「そう、キミだよ。トネリコ。黙示録によると、このエルガストに点在する〝隠された王の遺産〟を探し、記載された封印を解く必要がある。さもないと、トネリコの本体である〝世界樹〟は枯れ、恵みを失った世界は崩壊するらしい」
 何とも唐突で衝撃的な内容だった。一先ず分かったのは〝隠された王の遺産〟は全部で三つあり、それらの封印を解く場面でトネリコの力が必要になるということである。暗号のような記述が点在し、軽く目を通しただけでは具体的に何をどうすべきか見えてこなかった。
 一度に多くの事象が舞い込んでパンクしたのだろうか。先程の興奮も何処へやら、トネリコは本を手元に開いたまま人形のようにその場で固まっている。かと思えば、急にハッとして顔を上げたり、また視線を下に戻したりと忙しない動作を繰り返した。どうやら現実を飲み込むために文章を何度も読み返しているようだった。やがて落ち着きを取り戻したのか、魔女の顔を見上げてポツリと呟いた。
 「……つまりよォ、次の封印を解くには俺様の力が必要なんだろ?オマエは協力させるために俺の封印を解いたってコトか?」
 魔女は「ご明察」と言わんばかりに、ニヤリと口の端を上げた。
 「ボクは王族として、このエルガストを守る義務がある。姉様と兄様は立場上、城から動くのは難しいからね。ボクが使命を果たす」
 彼女は意思の強さを秘めた瞳で真っ直ぐトネリコの眼を覗き込む。
 「〝世界を救う〟なんて大義はどうでもよくてさ。ボクはただ〝生きたい〟だけなんだ。この世界で、大切な人たちと共にね」
 魔女の顔はどこか苦しげに見えた。続けて静かに口を開く。
 「ボクと一緒に来てくれないかな?」
 キミにとっても悪い話ではないだろうと、悪戯っ子のように微笑んだ。目の前にスッと差し出された彼女の右手を見つめて、トネリコは諦めたように軽く息を漏らした。
 「どうせ断っても、無理矢理連れて行くんだろ?まあ俺様としても、こんな脅迫じみた預言なんざひっくり返してやりたいしナ」
 トネリコはニカッと笑うと、魔女に向かって拳を差し出した。魔女は開いていた自分の右手をキュッと握って拳を作り、彼の小さな拳にコツンと合わせた。

 「今日はもう遅いからボクの家で休むとして、明日から探索を始めよう」
 そう言って立ち上がった魔女は森の奥へと歩きはじめた。トネリコも後を追ってホシヒカリゴケの淡い光の中を進んでゆく。

 「なァ、一つ聞いていいか?」
 足音だけが並んで響く中、先に沈黙を破ったのはトネリコだった。魔女は歩みを止めず「ん?」と短く聞き返した。
 「よくよく考えてみたらよォ、なんで俺様が枯れる未来になってんだ?」
 言われてみれば至極当然の疑問である。しかし気にも留めていなかった魔女は、何だか可笑しくなって思わずフフッと笑みを零した。トネリコがムッとした表情でこちらを見上げるものだから、出来心で少し揶揄からかってみる。
 「……それは父上に聞いておくれよ」
 魔女は皮肉めいた調子でそう言った。