『トネリコの魔女』序章 新月の夜の夢 003 夢の中の邂逅

トネリコの魔女 序章 新月の夜の夢 003 夢の中の邂逅

 ——その夜、俺様は夢を見た。

 空は深く暗く沈んでいるが、月は不気味なほど紅く輝いている。俺様は見覚えのある橋の上をテクテクと散歩していた。辺りにひと気は無く、川の流れる音だけが響いている。
 しばらく歩いていると、唐突に背後から声が聞こえた。近づいてくる気配さえ感じなかった。が誰かは知らないが、何故か俺様の名を口にしたのだ。
 振り返るのと同時に、黒い影が足元で朧げに揺れ、古エルガスト語で書かれた魔方陣が現れた。瞬きをする間も無くその場で硬直し、身動きはおろか喋ることすらできない。
 目の前には、フードを目深に被ったソレが立っていた。顔は見えない。黒く長いローブの裾を地面に引きずっており、裾と影の境界は溶け込んでいるかのように曖昧である。
 「次ニ、月ガ満チル時……王ハ死ヌ……」
 ソレは、ぽつりぽつりと古エルガスト語で話し始めた。中性的でどこか機械的にも聞こえる声だ。
 「十三度目ノ新月ノ夜……本ニ選バレシ新タナ王ガ、オマエヲ迎エニ来ルダロウ……」
 そう言って再び足元に別の魔方陣が浮かび上がった。書かれた文字から、何かを封印する時に使う陣であることが読み取れる。
 俺様の視界はぐにゃりと曲がった。痛みは無い。ただ、自分の身体が自分のものではなくなってしまったかのような、不思議な感覚に陥った。
 世界そのものに溶け込むように、俺様の姿は足元から徐々に消えていく。
 「眠レ……ガ——……」
 最後に耳に入ってきた言葉を聞き終えるより先に、俺様の意識は途絶えた。

 その先の事は何も分からない。
 〝王は生きているのか?〟
 目覚めるまで、ただそれだけが気掛かりだった。

 ✳︎✳︎✳︎

  偽物にせものの窓から偽物にせものの朝日が顔を出し、広い寝室に光が差し込む。
 目を覚ましたトネリコは、周囲をキョロキョロと見回した。昨夜はソファに座っていたはずだ。いつの間に移動したのだろうと疑問に思いつつ、大きなベッドからピョンと飛び降りた。
 上等な寝具に横たわっていた為か、たっぷりと休息をとれた身体はいつになく軽い。そして「今日の俺様は一味違う」と言わんばかりに途轍とてつもなく頭が冴えていた。トネリコは部屋の中をウロウロと歩きながら思考を整理する。

 昨夜は封印から目覚めたばかりで混乱していたが、よくよく考えてみるとおかしな点があることに気づいた。封印される直前に遭った黒フードは、王の死と、新たな王が迎えに来る事を告げていった。しかし迎えに来た魔女は「王ではない」と言った。黒フードの言葉が必ずしも正しいとは言い切れない。そして、魔女の言葉も真実とは限らないのだ。
 トネリコは己が何を信じるべきか見極める必要があると悟った。自分の嗅覚が正しければ、少なくとも魔女が王族であることは間違いないだろう。ただ、彼女は何かを隠している。あまり自分の身の上を話したがらない素振りを見せていたのと関係があるのだろうか。
 疑問が次から次へと溢れてきたトネリコは、居ても立っても居られなくなり、部屋を飛び出した。
 「うォォ……会ったら問い詰めてやる!」

 扉を開けた先には長い廊下が左右に伸びていた。床にはお気に入りのふかふか絨毯が敷かれている。トネリコはどちらに進むべきか迷ったが、昨日嗅いだ魔女の匂いを思い出し、絨毯に鼻をすり寄せた。「よし、左だ!」と心の中で確信すると、そのまま匍匐前進ほふくぜんしんで進んでゆく。
 廊下は途中で迷路のように分岐していたが迷う事なく進み続け、やがて一つの大きな扉の前に辿り着いた。すると、待ち構えていたかのように、扉はギィィと古めかしい音をたてながらひとりでに開いた。部屋の灯りが廊下に漏れてきたと同時に、何故かトネリコの顔面は絨毯へと強く沈んだ。
 「グフ……!!」
 魔女の細長い足が、トネリコの頭の上にぐりぐりと押し付けられていたのだ。
 「ごきげんよう。ボクの匂いを嗅いでここまで辿り着いたのかい?しつけのなっていない精霊だね」
 魔女の爽やかな声が廊下に響いた。手にしたティーカップからはミルクティーの香りが漂ってくる。魔女はそっと足を戻してその場にしゃがむと、もう片方の手で白いハンカチを取り出し、トネリコの頭を拭いた。
 「……オイオイ、優しくするのはナシだぜ?文句言う気が失せるだろ?」
 トネリコはムスッとむくれながら、複雑そうな面持ちで魔女を見上げた。
 魔女は興味無さげに「そう」と言うと、紅茶を一口飲んで、唇に緩やかな弧を描いた。もちろん眼は笑っていない。
 真意を測りかねたトネリコは一瞬苦笑いを浮かべたが、すぐにケロリとして身体を起こした。そして魔女を見据えて言い放った。
 「ナァ、、俺様に何か隠してるだろ?吐かないとこの先協力しかねるぜ」
 魔女は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐ不機嫌そうに眉を寄せた。プイと顔を背けると、立ち上がって扉の奥へと歩きはじめる。
 「……とりあえずお茶でも飲みなよ。必要なことは道すがら話す」
 「カカッ!勿体ぶるねェ」
 トネリコは上機嫌に笑った。