読書記録『キリストのヨルカに召された少年』

こんばんは、ねこめです。第二十回目はフョードル・ドストエフスキーの『キリストのヨルカに召された少年』(神西清訳)です。
今日は死者の日らしいので、死者に纏わるお話を選びました。

「ヨルカ」って何だろう?と思い調べてみると、ロシア語でツリーを指す言葉のようです。寒さの厳しいクリスマス前夜、ロシアのある町で年端もいかない男の子が路頭に迷ってしまいます。

 飲む水だけは、やっと出口のあたりで見つけたけれど、食べるものといったら、パンのかわひとつ落ちていない。今朝けさから、もう十ぺんも、おかあさんを起しに行ってみた。とうとう、少年は、くらがりの中にいるのが心ぼそくなってきた。日はもうとっくにれかけているのに、あかりがともらないのだ。
 おかあさんのかおにさわってみて、少年はどきりとした。おかあさんは、ぴくりとも動かない。おまけに、まるでかべみたいにつめたくなっている。
「ここは、とてもさむいや。」と、少年は思って、もうなくなっているとは知らず、おかあさんのかたにぼんやり片手かたてをかけたまま、しばらく立っていた。やがて、手にいききかけて、かじかんだゆびあたためると、いきなり、寝床ねどこいたの上にあった自分の帽子ぼうしをつかんで、そっと手さぐりで、地下室ちかしつからぬけだした。

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家も食べるものもなく頼れるひともいない、そんな少年が唯一の家族であるおかあさんまでなくしてしまいます。反対に、町はクリスマスムードに染まり、明るく暖かい家の中には飾り立てられたツリーがキラキラと輝いています。この対比が、より一層少年の心細さや寂しさを際立たせているように感じました。

少年が寒空の下で微睡んだ頃、おかあさんの声が聞こえてきます。

 するとふいに、頭の上で、おかあさんがねんねこうたを、うたっているのが聞えだした。
「ママ、ぼく寝ているの。ああ、ここで寝てると、とてもいい気持だよ。」と、少年はつぶやいた。
「わたしのクリスマス・ツリーのところへ行こうよ、ねえぼうや。」と、頭の上で、しずかな声がささやいた。
 少年は、それもやっぱり、おかあさんの声かと思ったけれど、どうもちがう。おかあさんではない。いったい、だれがんだのか、それは、少年にはわからなかった。けれど、だれかが上のほうからかがみこんで、くらやみの中で、そっと少年をだきあげた。少年もその人のほうへ、手をさしのべた。すると……
 すると、とつぜん、ああ、なんという明かるいことだろう。ああ、なんというクリスマス・ツリーだろう。いや、これはもう、クリスマス・ツリーどころじゃない。こんなりっぱな木は、見たこともなければ、聞いたこともない。いったい今、どこにいるのだろう。

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この後、少年がどうなったかはご想像の通りです。
ただ、結末が分かっているのに、最後は寂しさより温かさが残る、何とも不思議な読後感の作品でした。

青空文庫より『キリストのヨルカに召された少年』フョードル・ドストエフスキー(神西清訳)
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