読書記録『女生徒』

こんばんは、ねこめです。第十ハ回目は太宰治の『女生徒』です。
この小説は、有明淑という女性の日記を題材として書かれた作品らしく、思春期の少女特有の悩みや気分の浮き沈みが描かれています。

あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっとふすまをあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html

朝なかなかパッと目が覚めない感じをこのように表現していて微笑ましいです。きっと太宰ひとりではこの文は書けなかったはず……!他者の書いたものをモチーフにして自分の表現をしたときの化学反応みたいなものを感じてワクワクします。

 私たちには、自身の行くべき最善の場所、行きたく思う美しい場所、自身を伸ばして行くべき場所、おぼろげながら判っている。よい生活を持ちたいと思っている。それこそ正しい希望、野心を持っている。頼れるだけの動かない信念をも持ちたいと、あせっている。しかし、これら全部、娘なら娘としての生活の上に具現しようとかかったら、どんなに努力が必要なことだろう。お母さん、お父さん、姉、兄たちの考えかたもある。(口だけでは、やれ古いのなんのって言うけれども、決して人生の先輩、老人、既婚の人たちを軽蔑なんかしていない。それどころか、いつでも二目にもく三目さんもくも置いているはずだ)始終生活と関係のある親類というものも、ある。知人もある。友達もある。それから、いつも大きな力で私たちを押し流す「世の中」というものもあるのだ。これらすべての事を思ったり見たり考えたりすると、自分の個性を伸ばすどころの騒ぎではない。まあ、まあ目立たずに、普通の多くの人たちの通る路をだまって進んで行くのが、一ばん利巧なのでしょうくらいに思わずにはいられない。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html

少女らしい幼さがある一方で、将来のこと、世の中のことにも関心を向けているのがわかります。昔も現在いまも、みな考えることは似たり寄ったりのようです。

この物語は、何の変哲もない女生徒の或る一日を切り取ったものですが、どこか詩的で哲学的な印象を受けます。子どもから大人になる、ちょうど狭間の、揺らぎのようなものといいますか、その心の機微は思春期を体験した人なら「自分も考えたことあるなぁ」と共感できるかもしれません。

青空文庫より『女生徒』太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html